メシフクロウの雑記

メシフクロウの雑記です。文字で語りたい。

そうだ自死を選ぼう、と思いながらズルズル生きている情けない人間の話

余りにも疲れていた。

疲れ果てたわたしが考えたのは、

「そうだ餓死しよう」だった。

 

 

最近、ケアレスミスが重なったり、

色々な人から叱られたりしていた。

元から「指摘・アドバイス」を、「自己否定」と捉える癖があるわたし。

性懲りもなく、「死にたい、人に迷惑かけたくない、傷つきたくない」の

自己愛モードになって布団の中で転がっていた。

 

何度となく落ち込み→立ち直り→落ち込み、を繰り返してきたが、

この無限ループにほとほと嫌気がさし、

本気で死んだ方が良いのではと考えるに至る。

そこでふと、仕事中に空腹でフラフラになった時を思い出した。

空腹とは人の生気を容易く奪うではないか、

ただ食事をしていない、という理由だけで…!

 

死への手段としては、なんとお手軽なのだ。

 

首吊りは息が詰まって苦しそう、手首を切るのも痛そう、

電車や高層階からの飛び降りには勇気が足らない。

緩やかに、安楽死したいと思った時に、

「ご飯を食べない、水を飲まない」という死に方が

最も楽なのではないかと思い至る。

 

 

朝。旦那に「お腹へった?」と聞かれても

へっていないと応えるわたし。

水を飲むと延命してしまうと思い、

出来るだけ水を口にするのも絶とうと考える。

そこへ旦那、「お腹がへったから外でご飯食べよう」との誘い。

 

まずい。

 

嫌とも言えないし、旦那の食べたいという欲求を否定したくない。

どうやって食事を避けるか考えているうちに、

近所の食堂へ到着。

 

「何食べる?」と聞かれても、お腹へってないの一点張りで行こうと決めた。

水も舐めるくらいしか飲まない。

注文しなければさすがに怪しまれるだろうと思い、

味噌汁を注文したいと話しておいた。

いつもは誰よりも食欲を示すわたしの異様な行動に、

旦那、2人分の料理を注文。

 

まずい。

こう来るとは思わなかった。

 

「一口だけでも食べな」と言われ、

カレーチャーハンなるジャンキーなメニューを一口。

 

旨い。

空腹に染み渡るような思いであった。

 

もちろん、旦那1人で2人分の量を平らげることなど出来るわけもなく、

「食べないんだったら残すよ」と怖い顔で言われる。

 

出されたご飯を残すというのが人間として許せず、

結局残りをもらい、全てを平らげた。

カレーチャーハンも、冷やしたぬきそばも、やはり旨かった。

 

 

食後、餓死についてググってみた。

餓死は、わたしが考えている以上にハードで、

生半可な気持ちでは死ねないらしい。

水なしでは3日から1週間、

水ありきでは1ヶ月くらい死ねないらしく、

周りを巻き込むのを辞さず、何が何でも死んでやるという

異常な意志がない限り餓死は出来ぬと知った。

 

 

怪しげな雰囲気もあるが、こんなサイトにも出会った。

 

jisatsudame.com

 

霊的観点から、自殺は決してするべきではない。

そもそも神は、人が乗り越えられない試練は与えない。

摂理に従い寿命を全うせず、自死を選ぶのであれば、

死後の世界は現世以上につらく苦しいものとなるであろう。

 

シルバーバーチという高級霊がそう語ったと、サイトにはあった。

上記はざっくり書いたものなので、

気になった方はぜひサイトを熟読してほしい。

 

わたしは苦しみから解放されたくて死にたがっているのに。

死んでも苦しみが続くのなら、自死の意味がないではないか。

わたしが直面している悩みや困難も、生きてさえいれば

いつかは解決されるのかもしれない。

そう思って、あっさりと自死願望を投げ捨てた。

 

 

これが今日1日の出来事だ。

 

体を気遣ってくれる旦那もいるのに自死を願うとは、

何て不謹慎で罪深いのだと思う方もいるだろう。

わたしも思う。

 

それでも今日の行動、思考は書き留めておく。

この記事を読んで、

 

「わたしはコイツよりまだマシだ」と思ってくれたら嬉しい。

こんな浅慮で軽薄なまま歳を重ねた人間も、

手の平クルクルしながらズルズルと生きているのだ。

 

わたしより真面目で、素直で、

未来ある人々が自死を選ばぬよう、

自分の惨めな有様を文字で残しておくのも

悪くないのではと思ったのだ。