メシフクロウの雑記

メシフクロウの雑記です。文字で語りたい。

ブログをやめた話。そして再開してからの話。

ブログをやめた話をする。


以前のわたしはブログを開設してはやめ、
開設してはやめを繰り返していた。
直近のブログでは10~20記事をのせていたが、更新をやめて久しい。
その理由を振り返りがてら、語ろうと思う。


わたしは当時、ブログで利益を得たいという気持ちがあった。
今思えばとても浅はかでお恥ずかしいが、
その当時は「このままの収入では、老後に生きていけないのでは」
という漠然とした不安に突き動かされていたのだ。
仕事や、不甲斐ない自分に悶々とした思いを感じていたのもあるだろう。

会社員として働きながら、副収入を得る手段を見つけたいと思いブログを始めたが、
「書きたいこと」など全くなかった。
ブログを書くことが目的ではなく、副収入が目的なのだから当然だ。

困ったわたしは書くべき内容を探して、
ネットでブログ記事を読みあさることになる。

本気でブログに取り組もうとする方なら、
「ブログの書き方」的な記事も自身の肥やしに出来るだろうが、「不安」が原動力となって突き動かされていたわたしは、
記事の真意にたどり着くことなど出来るはずがなく、上澄みだけをすくった知識を得ることになる。

それが、

・ブログは○○○文字以上書こう!
・ブログタイトルには検索にひっかかりそうなキーワードを複数入れる
・人気ジャンルの記事を書くと閲覧が増える
・とにかく毎日記事は更新する!

などである。

「人気ブロガーさんのアドバイスをきちんと守り、記事を書けば、いつか副収入が得れる」
と当時は本気で考えていた。
真の阿保である。

それから毎日、記事になりそうな出来事を探しては、読者に真意が伝わるよう内容を過剰書きにしたり、強調したい内容を太字にしたり、記事の導入部分にSNSのリンクを入れたり、写真を挿入したり、Amazonリンクを貼ったり、タイトルに検索キーワードが入るようにしたりしたが、
結果、とても疲れた。

文を書き、伝える楽しさを感じてもいないのに、
ブログの見映えや、副収入に繋がるコンテンツのことばかり気にしすぎていた。

実際に文を書いていても、自分が本当にそう思っているのか途中から疑わしくなるくらい、
本心とは異なる場所で書いていたように思える。

少しだけ閲覧数が上がった時は嬉しかったが、検索ワードを意識して勢いで書き上げた記事だった為に、「あぁやっぱりね」感が拭えなかった。
もっと他に見てほしい記事があるのに、やはり検索ワードが入った方が良いのね、とすら思っていた。

書かねばならぬ、量産せねばならぬ、
マストマストに溺れ、
ふと更新の手を休めた日が最後、記事は途絶えた。


そしてブログを再開した話を続ける。

他のブログを放置して、
わたしはまたこうしてブログを始めた。
別のアカウント名にし、本音で意見を言う場所を作りたいと思ったのだ。

元々口下手な身、
考えすぎると思考がぐるぐると脳内を駆け巡り、
何が言いたいか自分でもわからなくなることがよくある。
自身の思いを振り返り、整理する方法として、「文字で表現する」のが1番落ち着くということを、身を持って知ってから、
もう一度ブログを書き始めようと決めたのだ。

副収入への興味も捨て切れていない。
閲覧数ももちろん気になるが、
それ以上に「書きたいこと」がたくさんある今が、嬉しい。


場面は少し変わるが、今日久々に旦那から、「そういえば謡やらないの?」と声をかけられた。
うちの祖父は長年謡を習っている。
わたしが歌を習っていたので、祖父に謡を習ったら家族は喜ぶんじゃないか、と思い、祖父や他の家族、そして旦那に「謡やろうかなぁ」と以前から発言してきたのである。
しかし、今まで習う気配を見せていない。

旦那は「やる」と言った発言を、放っておかない性質だから、今考えていることを伝えておこうと思った。

「謡やろうかなって言ったのは、家族が喜ぶかなと思ったからやねん。おじいちゃんには悪いけど、本当はそこまで興味がないねん」

何故か似非関西弁で答える。

「歌もな、本当はそこまで興味がないねん。誰かが喜ぶかなぁと思って言ってたねん」

歌も、やるやる詐欺を続けてきたので、「歌もか?」と旦那は答える。

「でもな、最近文字を書くのが楽しいねん。続けたいって思うねん。やりたいって思えることが見つかって、嬉しいなって思うねん」
飽きるかもしれないけど、と添えておきつつも、「良かったね」と言ってほしいと念じている自分に気づく。

「良かったな」
という旦那の答えに涙が出た。

文字を書けるようになって嬉しい。
続けたいと思えることが出来て嬉しいと思う。
誰かの期待に応える為にではなく、自分が文字を書きたいと思う限り、ブログを続けていけたらと思うのである。