メシフクロウの雑記

メシフクロウの雑記です。文字で語りたい。

【2018/5/28現在】英語学習でやっていること、やろうと思っていること3点をまとめる

3年後にどうなりたいか考えてみてから、

気づいたら2週間たっていた。

 

meshiowl.hatenablog.com

 

8/14まで短期目標を掲げて過ごしていた訳だが、

海外のサイトを、原文のまま日常的に閲覧出来るようになりたい、という目標に対し、

今モチベーションが上がってきているので、

現在やっていることや、やろうと思うことを3点まとめておく。

 

 

白海外サイトを閲覧する

 

まず、海外の面白そうなサイトを流し見している。

1つ1つの記事が短文で読みやすいので気に入ったのが、

NOT ALWAYS RIGHT」だ。

 

Funny Quotes & True Stories - Not Always Right

 

店員とお客様の間で実際にあった面白エピソード、びっくりエピソードを

投稿するサイトとしてスタートし、現在は、家族・友達・ロマンスなど、

多岐に渡るテーマのショートストーリーが読める。

 

文章量も然程多くない為、

ニュースサイトよりも英語に触れるハードルが下がって良い。

 

辞書を引いて和訳しつつ読むのではなく、

わからない単語はとばして大まかな文脈を捉え、

どうしても知りたい単語だけ意味を調べるようにしている。

(それでも大まかな意味は掴める程、短文なのが良い)

 

英文に拒否反応を起こすのを矯正する為、

海外の文章に触れる機会をこれから多くもっていきたい。

拒否反応が少なくなってきたら、洋書に挑戦して

面白いミステリー小説とかを原文で読んでみたいものだ。 

 

無料動画で学べる勉強サイトへの登録

 

動画で勉強するのが最近の流行りであろう。

動画講座はどうしてもテンポが悠長な気がして距離をおいていたが、

「動画も良いかも」と思ったサイトがこちら。

英語学習ボックス」だ。

 

eigo-box.jp

 

英文法と英会話の情報がギッシリ詰まったメディアサイ」という

文言は伊達ではない。

英文法についてのブログは、読みやすさ、わかりやすさ共に一級品。

 

管理人の森タツロウさんは学習塾で英語教師を8年務めたというのだから、

それもそのはず。

 

サイト1番の目玉はもちろん、

英文法の基礎をマスター出来るという

全31回、約500分にもわたる無料動画だ。

 

紹介ページに「なぜlookは自動詞で、watchは他動詞なのか?」という

動画が上がっていたので視聴してみると、

森さんの解説のわかりやすさに度肝を抜かれた。

 

eigo-box.jp

 

全31回の動画の方は、メールアドレスの登録が必要になる。

今まで見た内容の中で1番わかりやすい。何より無料だし、

登録してみよーと軽い気持ちで登録してみた。

 

登録後、森さんからメッセージが届くのだが、

HPや動画についての宣伝や自己紹介か何かかと思いきや、

勉強を始めようとする人の為の純粋なアドバイスであった。

身が引き締まる思いと同時に、

 

これ、ガチで勉強しなきゃあかんやつや…

 

という実感もムクムクと湧いてくる。

 

飽きっぽい性格で、手を変え品を変えながら

ちょこちょこと英語の勉強をしてきたわたしだが、

全31回の長きに渡る動画、

ブログに記事として残すからには頑張って完走し、

2,3回と見返すようにしたい。

6月中に動画を制覇し、2周目には入りたいものだ。

 

英語ニュースを和訳し、ブログで感想を綴る

 

8月までの短期目標として掲げているが、まだ実施出来ていない。

理由としては関心が向かないから、という一言に尽きる。

ニュースサイトはやはり長文で知らない単語も多い。

興味深いが、小難しい。

 

しかし、目標は目標である。

短いニュース記事でも良いから、

ベイビーステップとして達成していきたい。

 

短文のニュースサイトといえば「News in Levels」だろう。

 

http://www.newsinlevels.com/

 

同じ内容のニュースを、3段階の英語レベルに分けて掲載してくれている。

要点がまとまっており、なかなかの短文。和訳のハードルの低さは随一だろう。

 

まずはこのサイトで気になった記事を取り上げ、

和訳した上で感想を綴ってみようと思う。

 

 

以上3点が、現在英語学習でやっていること、やろうと思っていることだ。

 

飽きっぽいわたしがどこまで英語学習に取り組めるか、

自分でも甚だ疑問であるが、 

六十の手習いという言葉に励まされつつ、頑張っていきたいと思う。

 

また時間をおいて、報告したいと思う。

じゃね!

 

ちきりんさんの「人生の有限感」を読んで思うこと。不安に対峙しながらも生きていく

ちきりんさんのブログで、以下のエントリーを読んだ。

2010年と随分昔の記事だが、とても興味深かったので感じたことをまとめておく。

 

d.hatena.ne.jp

 

まず、わたしは人生の有限感を意識出来ていない人間の典型だと思う。

何故なら日々不安を抱いて生きているからだ。

 

「他人から嫌われるのではないか」

「失敗したらどうしよう」

「出来ないと言ったら叱られるのではないか」

「やりたいかやりたくないか全くわからない」

 

などなど、感じた内容を文字にすると4行程度では足りない。

 

脳内ではこれから自身に降りかかる可能性のある問題に対応する為、

さまざまなリスクマネジメント論争が繰り広げられる。

 

「嫌われたら、悲しいけれど、嫌われた事実を受け止めることから始めよう」

「失敗したら、また立ち上がれば良い。まずはやりたいかどうか自分を見つめよう」

 

自分を鼓舞し励ますが、

この時点でわたしは誰にも嫌われていないし、失敗すらもしていないのだ。

 

起こってもいない事柄で妄想し、一歩も足を踏み出せていないのだ。

これ程時間を無駄にする行為はないだろう。

 

 

こうして不安に駆られて足を止めた時に必ず思っていたのが、

「死んだら楽になるのに」という文言だ。

それはそれは甘美な妄想で、

死の世界に体を横たえれば、この無間地獄のような苦しみから解放される、

解放されてほしいと願っていた。

 

しかし、そんな妄想はもう出来なくなった。

以前自死について調べていた時に見つけた、自殺防止サイトに

天命を全うせずに死を選んだ場合、死後、生前より苦しい運命が待ち受けると

書かれてあったからだ。今だにこの考えを支持している。

 

jisatsudame.com

 

ちきりんさんのブログで語られている堀江貴文さんやスティーブ・ジョブズさんのように、「小さい頃に突然、人はいつか死ぬんだと意識した」と感じたとか、

大病を患って生死の淵をさ迷ったという経験は、わたしにはない。

東日本大震災の時も、揺れに「あ、もしかして死ぬのかしら」とボンヤリした恐ろしさを感じた程度で、ブラウン管ごし(あのテレビがブラウン管だったかは忘れたが)に見た津波の映像にリアルさはなかった。

 

今も昔も、わたしは死に恐ろしく鈍感だという事実に変わりはない。

しかし自殺防止サイトを見て、天寿を全うして生きていくしかないと考えるようになった。

天寿を全うするというのは、自身に与えられた天からの課題を

乗り越えて成長し続けるということなのだと思う。

 

成長し「続ける」というのが肝で、

日々不安を抱いて生きている今の現状を打破しなければいけない、

その為に行動を変えなければ、と思って今は生きている。

 

 

人生の有限感を持てたら、もっとスピーディに

迷いなく物事に打ち込めていただろうと思うが、

無い物ねだりをしてもしょうがない。

有限感がある方々も、好きでこの考えに至った訳ではないだろう。

今断言出来るのは、

自分を変えていこうと思っていられることこそが、

自分にとっての1番の幸いということだろう。

 

 

最後に、

「余命が6か月であっても、今の生活を続けるか?」

とジョブス氏は問うたと、ちきりんさんの記事にある。

 

わたしはたぶん、今の生活を続けると思う。

生まれ故郷で、旦那と、仕事をして暮らす。

家にはプルがいて、近所に家族がいて、

少し暇を作れば身近に母なる山々が連なり、

りんごの木や田んぼ、電線のない遥かな空を眺める。

 

めんどくさい事柄も多いし、

必要とされてないんじゃないか、

死んだ方が良いんじゃないかと思うことも多いけど、

この旦那とこの地で暮らせるのが、

自分の気持ちをこうして文字にして発信出来ることも含め、

何よりありがたい。

 

死ぬ時まで、少しでも自分の悲観的な感情と向き合い、

鈍感さに辟易しながらも、

今の自分を変えていきたい、と思うのだ。

 

 

ちきりんさんのこの記事は、

きっと人生の節目節目で読み方が変わってくると思う。

また忘れた頃に読み直して、自分を振り返りたい。

 

発展途上の自分と向き合いたい方、

ちきりんさんの「人生の有限感」、読んでみてはいかかだろうか。

 

d.hatena.ne.jp

 

もう1回リンクを貼ったところで、

じゃね!

オカメインコのプルの近況を語る。存在の大きさにも気づかされた。

うちの可愛い家族、
オカメインコのプルについての近況を書く。
とても元気になったし、同時に可愛くなった。


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気にかけていたしゃっくりはなくなり、
体重は当初70gしかなかったが、今や80gまで増えた。
体も一回り大きくなり、スリムだった体も
少しふんわりと丸みを帯びてきた気がする。
太らないように気にする段階に入るのかもしれない。


ブドウ色の目は、雛の頃から変わらず大きい。
きらきらと光る瞳は、見ているこちらの心が鷲掴みにされる。


ご飯を作って食べさせる時代は卒業し、無事一人餌に移行した。
今は自分でペレットをついばみ、
おやつの赤粟の穂をむしゃむしゃと食べる。
粟玉を作る作業からは解放されるが、
ちゅきちゅきちゅき…と音をたてて粟玉を食べる姿が見れなくなるのは
純粋に残念だ。


放鳥するとよく飛ぶようになった。
部屋を2周程ぐるぐると回ってから、
天井近くの出っ張っている箇所に留まったり、
ジグザグの軌道を描きながらこちらに飛んでくる。
飛び飽きると肩にのり、毛づくろいをする。


少し前までは鳥かごに戻るのを嫌がるので苦労したが、
外でご飯をあげないようにしていたところ、
昨日初めて、餌目当てに自らひょこひょことかごに戻っていった。
お腹がいっぱいになると、
人の姿を見かけて鳥かごの中からピーピー呼び鳴きするが、
家に来てようやく1か月なのだから、
徐々に慣れていってくれれば良いのかなと思う。


プルと旦那について。

旦那はプルにメロメロで、
放鳥するときゃっきゃっとはしゃいでいる。
念願のオカメインコを飼えた喜びは、
1か月たっても少しも褪せることなく旦那を包んでいるらしい。

写真や動画を撮って、
些細な動きなどから新たな発見を積み重ねている彼が
プルに飽きるなんてことがなさそうで何よりだ。


プルと自分について。

海外旅行が控えているので、家族にプルを預けお泊り練習をしたのだが、
プルがいないその夜、存在の大きさを悟らされた。
プルがいないと心なしか部屋が寂しいし、ちゃんと留守番出来てるか不安だし、
旦那とぶつかってもプルという緩衝剤がなく、
今いち素直になれなかったのだ。

不機嫌になったとしても、一心不乱に甘えてくるプルには怒りはぶつけられない。
プルの世話をすることで心がイライラに囚われることなく、
平静でいられた自分がいたことに初めて気づく。

甲斐甲斐しく世話をしていたつもりだったけれど、
とんでもない、大いにプルにも助けられていたのだ。
日々成長し逞しくなるプルのように、自分も日々精神的に大人びてゆきたいと願う。



今日はこの辺で。
また近況を語ろうと思う。
じゃね!

【日々日記】読書感想文がなかなか書けない

あげ損ねていた日々日記、
これが4月分の最後になる。

2018/4/14

お店での新しい試みに、反響があった。
ひっそりと、しかしほっこりと嬉しい日である。
雨が降る中、足を運んでいただいたお客様には感謝しかない。

本の感想記事を書きたいと思っているのだが、
読書感想文がなかなか書けない。
書きたいという漠然とした気持ちはあるが、
何故か文字を打ち出すとなかなか後が続かない。
どうやら自分は、「素晴らしい記事にならなかったらどうしよう」と思っているらしいのだ。

他のブロガーの皆さんが書くように、長文で、内容がまとまっていて、しかも要約があって……

は、初めたての私が、何とおこがましや。

ひとまず書き散らせば良いのだ。
また1冊、1冊と数を重ねれば自分なりの書き方がわかってくるだろう。
短文、稚拙を恐れるな。書け!
と自身を鼓舞して今日は寝る。

【日々日記】頼りがいのあるドライバー&エネルギー切れの休みの日

あげそこねていた日々日記を、
さらにあげようと思う。


2018/4/10

父と旦那と出掛けた帰り道。
2人は疲れで眠りの淵に落ちた。
急遽、いつもは助手席に座ってのんべんだらりとしているわたしが、
車のハンドルを握ることになった。

「車は走る棺桶だから運転したくない」
免許を取った当時からそう愚痴をこぼすくらい、運転が怖かった。
訳あって、ようやく最近運転を再開したが、旦那が隣でアシストするのが当たり前だった。

しかし今日はどうだ。大の大人2人の背中を預かることになったわたしは、
眠気覚ましにラジオを聞き流しながら、長距離運転をし、遅い車を追い越し、車線変更もするようになったのだ。
いっぱしのドライバーである。

今までは父がハンドルを握り、
後ろの座席に座ってのんべんだらりとしていたわたしは、
「眠ってもいい?」と無邪気に尋ねたものである。
それが今は、「お父さん眠ってていいよ」と発車時に声をかける立場になったのだ。

髪が白く薄くなった父の老いを改めて感じる一方、
いつもハンドルを握ってくれていた父や旦那が車内で眠りにつき、
目を覚ませば自宅到着状態にしてあげれることを誇らしく思う。

わたしたちに子供ができたら、老いたわたしに
「お母さん眠ってていいよ」と声をかけてくれるんだろうか。
だとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない。


2018/4/11

今日は仕事を休み、ひたすら一人で休む。
休む、休む、休む。

合間に少しブログを書く。
そして誰かのブログを読む。

ブログを書き始める前と後だと、
後の方がブログを読むのが楽しい。
生活感があったり、
個性がにじみ出ていたり、
うら寂しかったり、面白かったり、
文字から多彩な世界が滲み出るのを
覗き見出来るのが良い。


一人でゴロゴロ布団の上で過ごしていると、
じわじわと体の中が軽くなってきた。
意識的に一人の時間を作らないと、
エネルギーが切れてしまうのだと学んだ。
今日は旦那が気遣ってくれたが、
自分でもう少し意思表示出来るように
なっていかなければなと思う。

気付きを少しでも活かせるよう、
明日からまた、頑張ってみようと思う。

【日々日記】文字を書くということ&期間限定台湾まぜそばで失敗した話&ふきのとうの天ぷら

あげ損ねていた日々日記を、
今さらながらあげようと思う。

2018/4/8
ボードゲームで長考する人についての記事を書いていたら、あっという間に時がたっていた。
ううむ、書くのは難しい。明日にでも記事を見返そう。

明日、明後日はお休みである。平日の連休だ。
たくさんまったりするはずなのだが、ブログを書いているうちに大変な深夜になってしまった。
文字を書くのは本当に楽しい。
ただ、自分が言いたいことを整理したり、
相手に真意が伝わるように表現するのはほんに難しいなと感じるようになってきた。
また、批判されたらどうしよう、という自意識過剰な面も出始めた。

どうしようと言っても、批判されてもないのだからわかりようがないのである。
少なくとも「真意が伝わらないんじゃないか」と不安になる記事は一晩ほど寝かせて、
発酵させてから投稿しよう。そうすることにする。

明日以降に長考記事が上げられることを願って、今日は寝る。


2018/4/9

午前中はまったり寝坊して過ごす。気楽な休日である。

昼過ぎ。昼食を食べにラーメン店へ入る。
期間限定で台湾まぜそばがメニューにあった為、迷いなく注文。
食べてみると、何とだし粉の味しかしなかった。
???
台湾まぜそばなのに、何故こんなにパンチがないのか。
告知チラシには「ピリ辛でがっつり系!」と書いてあるのに。
挽き肉だけ食べてみるも、炒めた挽き肉の味しかしなかった。塩辛くもなく、甘くもない。
ここは台湾まぜそば特有の濃いタレの味がしないといけないのではないのか。
刻み玉ねぎ(生)を入れ、お酢をかけ、ラー油を投入したところで漸くがっつり系の味になる。
しかし、入れすぎた玉ねぎが辛いのがまた悲しい。
(弁明すると、お気に入りの有名油そば店では、玉ねぎを入れれば入れる程美味だった為、そこに習ったのだ。)
欲張って大盛りにしたのが仇となるが、残すのは恥。黙々と食べ終えた。

退店後、旦那が
「専門店のまぜそばは美味しいけど、期間限定はやめておいた方がいい」
という金言をくれる。
早く言ってくれ!と思ったが、身をもって真実を知れたということで良しとしよう。
期間限定こってり商品に弱いわたしである。


その後温泉に入り極楽を味わった後、実家へ。
夕食に、春の味覚、ふきのとうの天ぷらを食した。
どうやら裏庭で山程収穫したふきのとうの一部らしい。
裏庭は山菜の宝庫で、もう少しするとたらのめが採れるはずだ。

しかし揚げたては初めて食べる。
お皿にのったふきのとうは思ったより小さく、たこやきの大きさくらい。小粒大といったところ。
箸でつまんで口に運ぶと、ほろりと咥内でほどけた。
噛んだ時の繊細な食感は他にない味わいである。丸みのあるほろ苦さは、春の息吹を思わせる。
ぱくぱく、と皆が食べ進めあっという間になくなってしまった。

茄子の素揚げを醤油ベースのタレにつけて食べる料理も、唐揚げも、
どれもこれも美味しかったが、食べ終わる頃には満腹になってしまった。
昼食に欲張ってまぜそばを大盛りで頼まなければ、もっと腹状態がよく夕食を楽しめたのに、
とまだ自身の行動を悔やむ、わたしなのであった。

家族で大盛り上がり!協力ボードゲーム「ヒトトイロ」がとても楽しいという話

家族揃って大笑いして、
盛り上がったボードゲームがある。
その名も、「ヒトトイロ」だ。

sites.google.com


名前の通り「色」がテーマのボードゲームである。
各自手札として15種類の色が描かれたカードを持ってスタート。
親がお題を出し、全員がお題のイメージに合った
色のカードを裏にして出す。
これをお題を変えて5回繰り返し、
出した色が全員一致したら成功という協力ゲームだ。


このボードゲームがうちで重宝された理由の1つが、
幅広い年齢層をカバー出来るという点だ。


この時遊んだメンバーは5人。
中でも最年長は、御年90歳の祖父。
普段ボードゲームを遊ぼうと持ちかけると、
ルールの難しさや駆け引きの必要性から、
どうしても祖父が輪から外れてしまう。

しかしこのヒトトイロは、
お題に沿って色を出すという単純明快なルールだし、
年齢が異なっても十分面白い。
ルールをその都度教えつつ、十分祖父でもプレイ出来た。

あまりにも盛り上がったので、
3つ程思い出をあげてみる。


まず、祖父が出したお題「指輪」

このお題に、3人が「金色」、2人が「銀色」のカードを出した。

「えーっ!?指輪って銀でしょほら!!」

と自分がつけている指輪を見せてアピールするわたし。
旦那も同様に銀色を出している。
祖父と父と義理の母は、
「あなたがつけてるのはプラチナでしょ?指輪といえば金だよ!」と譲らない。
どうやら父世代あたりまでは指輪=金色で、
銀色の指輪はみすぼらしいイメージがあるのだとか。

「銀色はねぇー…」と言って頷きあっている3人。
若い人はみんな当たり前に銀色の指輪つけてるよ!と
主張するわたしと旦那であった。


続いて、旦那が出したお題「織田信長

父以外の4人は「赤色」、父だけ「茶色」のカードを出した。

「何で赤色なの?」と疑問を浮かべる父に、
織田信長といえば比叡山延暦寺の焼き討ちだよ、
殺戮で血を流したイメージだよ!と伝える4人。
一方父が茶色を出した理由が、「昔の人だから」だという。
何だそりゃー!!と皆が大いに笑い転げた。


最後に、またまた祖父が出したお題「寺社仏閣」

祖父と義母が「金色」、父と旦那が「赤色」、
わたしだけが「茶色」を出した。

「寺社仏閣と言えば金閣寺だよ!」という金色派と、
「赤い鳥居を思い浮かべた」という赤色派。
そしてわたしは、「昔の物だから」という理由で茶色派。
織田信長」で茶色を出し物議を醸しだした父と
同じ理由で茶色を出したと気づき、これまた全員で大笑い。


1回ゲームを終えても、「もう1回!」の声がかかり、
結局この日は3回も繰り返して遊んでしまった。

祖父も自分で考えて色を出すのが楽しかったらしく、
「BBQ」というお題で1人だけ「緑色」を出した時には、
「BBQといったらピーマンでしょう」と堂々と主張し、場を盛り上げた。

次の日になっても、「昨日のゲームは面白かったね」と話題に上がり、
ゲームを持参した旦那も、わたしもほくほくとした気持ちになった。


ヒトトイロはジェネレーションギャップがあればある程面白いし、
相手の考え方や感性を改めて知ることが出来るので、
コミュニケーションに最適なボードゲームだ。
また協力ゲームなので、誰か1人が勝った負けたがなく
平和的でのんびりしている。

回答が異なった時の感想戦が異常に楽しいボードゲームなので、
ぜひ家族や友達とワイワイ楽しんでほしいと思う!


以上!じゃね!